宮古市の田老地区は壊滅状態でした。
津波の恐ろしさを実感しました。
宮古市の田老地区は壊滅状態でした。
津波の恐ろしさを実感しました。
いたる所に”がんばろう!宮古!”と張り紙がありました。
コンビニは生活に必要な物資はそろっていましたが、
嗜好品等はほとんどありませんでした。
ガソリンスタンドは震災前と同じ状態に戻っていました。
私たちが到着する前日あたりに急に状態が良くなったそうです。
日々、支援のニーズが変わっていることを実感しました。
宮古市には午後3時半頃到着しました。
意外だったのは宮古市に入っても災害を受けた様子が
全く無かったことです。
岩手の方は揺れによる被害がほとんど無かったそうです。
しかし、津波では壊滅的な被害を受けていました。
物資は支援の拠点となっている、社会福祉法人・若竹会へ
搬入しました。
夜は若竹会の事務所で雑魚寝です。
朝7:30頃、那須高原SAに到着しました。
ガソリンスタンドは長蛇の列でした。
一般道にいったん降りたところ、ガソリンスタンドは空いていました。
福島県~宮城県にかけての高速道路はでこぼこで、
補修の後がいたる所にありました。
このSAで神奈川県の特別養護老人ホーム・柴胡苑の
施設長さんと合流しました。
紫波SAでは栃木の社会福祉法人・同愛会さんと合流しました。
全国青年経営者会では震災直後より様々な支援を行ってきました。
雄志で現地まで支援物資を運んだり、現地での支援活動を始めています。
継続的な支援が不可避であり、交代で現地に出向いています。
旭寮の施設長も青年経営者会のメンバーであり、4月2日からの支援に参加しました。
4月1日、リュックとバッグに少しの支援物資と寝袋や食料等を詰め込み、
新幹線で東京に向かいました。
東京の街中は節電で真っ暗でした。
4月2日朝4時半に池袋駅で静岡の特別養護老人ホーム・さつき園の
施設長さんと合流し、園のワンボックスで宮古市を目指しました。
支援の拠点になっている茨城県水戸市の経費老人ホーム・ハートピア水戸様に
旭寮の備蓄食品等を送らさせていただきました。
私たちにできることから支援を始めました。
利用者のかたから、ラジオをいくつか提供していただきました。
乾電池やマスク(段ボール5箱)等を県を通して送りました。